河口信雄の取材日記

遠い国からご近所まで、旅と写真とB級グルメ。

05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

ソウル・南漢山城・扶余 

このブログは慶州で書いています。
実は信じられないほどの晴天続き。
火曜日にソウルについて六日間快晴!!
ブログ書いてる暇が無かったんです。

その間ひたすら市内と郊外を撮りまくって・・
いたとお思いでしょうが好事魔多し。
前のブログに書いたとおり豆をつぶして
歩くと激痛が!!
本来郊外や山歩きを考えていたのですが
その予定は最低限になってしまいました。

そんなわけで街中がメイン。
鐘路周辺、ソウルの中心です。

_E0A2575.jpg 
大統領官邸、そう彼のお住まい。

_E0A1909-2_20181107110638063.jpg 
光化門、景福宮の正門です。

_E0A2346.jpg 
新村、若者の街。

_E0A2853_201811071028278fc.jpg
日曜日、足の痛みもそこそこになったので
最低限の郊外へ。
世界遺産の南漢山城。

_E0A3469-2.jpg 
ここ勘違いしてたんですよ。
ソウル郊外の山城なんですが
写真では上のような石垣と門しかでてきません。
だからソウルを守るミニ万里の長城
だと思ってたんです。

違うんですね、いわゆる詰めの城。
ソウルが危ない時の避難所になっていて
実際清との戦いでは王族が逃げ込んだそうです。

_E0A3322.jpg 
これが行宮。
再建ですが古い写真が飾ってありました。
朝鮮戦争で焼けた?詳しいことはわかりません。
ここは基本的に韓国人の行楽地。
あまり日本語の説明は無かったんです。
帰ってゆっくり調べよう。

_E0A3682.jpg 
日曜日だったので帰りは大変。
バスが大行列!!道も大渋滞!!
まあ仕方ないですね、おかげで農楽撮れたし。
イベントが撮れるのは休日の特権ですね。

さて長くなるけどもう一カ所。
月曜日は百済最後の都、扶余へ。
歴史で習ったの覚えてますよね?

扶余が陥落後、再建目指した百済の残党が
日本に助けを求め唐・新羅連合軍と白村江で戦いました。
結果、日本百済連合軍が惨敗。
日本は朝鮮半島における足場を全て失いました。

_E0A4268-2.jpg 
定林寺跡、この石塔の一段目に
唐の将軍が戦勝記念に記録を刻み込んでいます。

_E0A4054.jpg 
扶蘇山、城のあったところ。
紅葉が綺麗でした!!

_E0A4107.jpg 
落花岩から白馬江。
落城時にこの岩から官女が身を投げたとか。
その様子が花が落ちるようだとこの名が付いたそうです。
そしてこの川の下流が白村江と言われています(諸説有り)

本当は扶余に滞在してゆっくり見たかったんですよね。
まあ今回は仕方ない日帰りです。
ソウルから約二時間、街もそれほど大きくないので
早朝に出ればゆっくり日帰りできます。
喧騒のソウルを離れてのんびりするのも良いのでは?




関連記事
写真  :  trackback 0   :  comment 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://knphoto.blog81.fc2.com/tb.php/1468-9dac40ed
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)